文系修士女の就活ブログ

文系大学院生(女・19卒)が就活していて思ったことを書きます。何かの参考になれば。

人文学も商売である

こんな記事を見つけた。


人生の宝物って、どうせ小説家としての名声とかキャリアでしょ、と思って、そしたらまあ結論は案の定そうだったんだけど、それ以外の部分で自分の中で心に残る言葉があった。

 

新聞が商売である如く大学も商売である

 

私が大学・大学院で接した教授は、主に2タイプに分けられた。

1.研究職としてやっていくなら、自分をうまく売り込んでいかないといけない。研究を社会に役立てなければならない。必要とされるような存在になるべし。

2.ごはんを食べることだけを考えていたらいい研究はできない。研究(特に人文系)は残念ながら社会に活きることなどほとんどない。学問的厳密さを追求すべし。

私は後者の意見になんだかすごく違和感があったのだ。

夏目漱石は、1でもなく、2でもない進路を選んだ。だが、結果として1の理想である、社会に求められる存在になったわけだ。その事実がとても爽快に感じた。

 

研究職も商売だ。

難しい病気を治すことにつながるかもしれない医学系の研究、社会を便利にする工学系の研究に比べたら、人文系の学問は役に立たないようにみえるかもしれない。

でも、本当にそう言い切れるか?

美輪明宏が新聞で、「とげとげしい日常を和らげるために芸術がある」というようなことを述べており、全くその通りと思った。自分の中で、美輪さんのイメージが急上昇した瞬間であった。ちなみに、それまでの美輪さんのイメージは私が小学生の時に全盛期だった「オーラの泉」という番組によって形作られた。「宝石持ちすぎると良くないわよ」と自身は指輪をいっぱい嵌めているのにもかかわらずゲストに忠告していたので、怪しいイメージがあったが、見直した。

役に立たないことを追求できる場が大学だという主張が、偉い立場の教授や大学関係者の口からも出てくるが、本当にそうなのか。文学作品や歴史資料の価値を訴えることができる人は、社会の益になるからこそ必要なのではないか。

綺麗事ではない。閉じられた仲間内の趣味サークルばっかりでは、学問は社会に必要と感じてもらえなくなり、いつか絶滅してしまうだろう。

 

私は資料調査をする側にも、資料保存をする側の経験もしたことがある。

資料保存はすごく地道な作業だ。こんなものを必要とする人がいるのか、信じられなくても捨てるわけにはいかない。1つ1つリストに登録して、来歴を書いたり、ラベリングする。いったん保管したらそれで終わりでもなく、定期的に防虫剤を取り替えることもしなければならない。年々場所をとるようになるから、整理したり新しい保管場所をつくってあげないといけない。

誰も使わないかもしれない資料でも、そうやって大切に大切に手間をかけて保存するわけである。

大学院生になって、資料調査をしてわかったのは、そういった保管施設の大切さだ。たとえ今使う人がいなくても、未来に使う誰かのために、資料は保存されているのだ。

恥ずかしながら、資料保存の価値を私は実感を伴って深く理解できたのはそのときである。そういった施設を利用しない、世の中の大多数の人が、資料なんてムダ、何をやってるところなのか意味わからないと思うのは、そんなに不思議じゃないことだと思う。悲しいけど。

だからこの発言に世の中が批判の論調一色になったことは、少しびっくりした。

 

www.huffingtonpost.jp

 

この大臣を擁護するわけではない。

でも、このままだと資料保存施設は生き残れない、もしくはそこまでいかなくても、お金が無くなり機能を果たせなくなる事例が多発すると思う。大学の人文系学部もそうだ。

なにもそれほどお金をかけなくても、多くの人に価値を実感してもらえるようなことはできないのかな。例えばだけど、小中学生に、博物館のナマの資料に触れること、主体的に資料を活用する機会を与えるのはどうか。常設展みたいに、強制的に情報を鵜呑みにさせられるような形ではなく、何か調べるテーマに沿って資料を活かしながら情報を読み取ったりまとめたりする練習。ミステリー小説の謎解きみたいで、楽しいと思う子供も多いと思う。

私は小学校の社会の授業で、地元の歴史資料館を見学したけど、すごくつまらなくて、でも大人になってからその博物館がいろいろ貴重な資料をもっているということを知り、全く印象に残って無いことにびっくりした。

もちろん、色々な人生経験があって、その情報が面白いかどうかは変わってくると思うけど、子供のうちに、自分が歴史を読み解いているというワクワク感を刷り込んでおくことって、後々効いてくる。博物館でキャプションの文字ばかり読んで、展示物そのものをほとんど見てない人が一定数いるけど、そういう鑑賞の仕方も変わってくると思う。

 

長々と書いてしまったが、言いたかったのは、

 

 

学問的な厳密さは大事だ。でも、それと社会との接点を見いだそうとする態度は両立可能だ

 

ということ。私は研究職でもないが、一般よりは少しだけ多く研究職の方々と接する機会があったので、いろいろ思ったことを書いてみた。

 

ちなみに夏目漱石のエピソードに関して、探してたらこんなtogetterまとめがあって、ビックリした。

togetter.com

 

研究職への道を突き進むか、それとも民間企業での就職か、迷っている人は、

研究職も商売だ、どういう形で世の中に役立とうか

なんていう観点で考えてみてもいいのかもしれない。